カテゴリ:政治や社会環境について > 舛添都知事の辞任

僕が勉強しているスピリチュアルは、この世の仕組みに関することで、
そのなかに「運のありなし」も含まれます。

それで分かったことはこの世は、感情のやりとりをする相殺する仕組みがあるということです。


たとえば、
他人に悲しい思いをさせた人は、その分だけ、自分も悲しい思いをさせられる
他人を楽しい思いをさせた人は、その分だけ、自分も楽しい思いをさせられる
他人から悲しい思いをさせられた人は、その分だけ、自分は楽しい思いをさせられる


それが分かったのはこの2冊の本の結果です。どちらも良書ですよ。







遅刻をする人は、その分だけ、集合時間に遅れて一緒に集まるひとを「まだか、まだか」と不満にさせてしまいます。

神さまは、その遅刻したひとが同じ感情を抱くように、この世を動かします。

その結果、たとえば、入金が遅れて同じように「まだか、まだか」と感じることになります。



私はツイていないという不満を抱いてしまったときは、本当は反省をしなければいえません。

過去に、あなたが他人に対して同じような不満を抱かせてしまっているのです。



あなたが与えたマイナスの感情は、そっくりそのまま、あなたも受け取ることになります。

 
このことをしっかりと理解すると、運の良い人になれるのです。


つまり、

あなたが与えたプラスの感情は、そっくりそのまま、あなたも受け取ることができるからです。




プラスを与えるとプラスを受け取れます。
マイナスを与えると、マイナスを受け取ります。



 情けは人のためならず
 
って、実はスピリチュアルの法則に基づいた言葉だったのですね。



僕は努めて、自分より弱い人に電車で席を譲るようにしています。


意識して、コツコツと、僕は陰徳を貯めるようにしているので、

この前、「今日は絶対に座って仕事をしなければいけない!」というときに、
 
奇跡的に目の前の席が空いて座ることができました。
 


「今日は、ツイてる!」と素直に喜んでいたのですが、

でも、実は、自分が行った過去の行為が返ってきただけだったのです。


スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんは、いまの人はお天道様が見ていることを信じなくなって、自分が得をすることばかり考えていると嘆いていました。


昔の人は、人が見ていなくても神さまがしっかりと見てくれていると考えて、ズルをしない生活を送っていました。

いまは、国際情勢をみていても、発言しなければ損という風潮が支配しているので、

だれもが、私が私が、俺が俺がと自己アピールするようになっています。

そして、誰も見ていなければズルをした方が得と考えるようになっているのです。



スピリチュアルの法則のよると、

そうして、ムリヤリに人の利益を奪おうとする行為は、あるときにドンと大きなマイナスを引き寄せてしまうだけのようです。
 

病気によって悲しい思いをしている人も多いと想います。

「どうして私が、どうして僕が」と辛い思いをしてしまっていると想います。


でも、その悲しい思いばかりを膨らませてしまって、
いろんな可能性を自分で塞いでしまうように、ふてくされると良くないのですが、

その強制的に感じさせられたマイナスの感情は、プラスの感情によってかならず補填されますので、

「神さまから守られているんだ!」くらいのプラスの気持ちで前に進んでいきましょう。

 
 
そういえば、せこい政治家の舛添さんが強制的に辞任させられましたね。

これも、これと同じことですよね。

ズルをして得をしたように感じていたと思いますが、それまで貯めていたマイナスを一気に引き寄せることになったと思います。


結果的にはもっと大きなお金を失ったのではないでしょうか?

スピリチュアル的にはマイナスとプラスは等価になるように調整が働きますから、失いすぎたマイナスを補填するようにプラスの運もこれから得られると思いますが、本人はそれで良かったのかどうかでいうと、おもいっきりマイナスだったと思います。

あれだけの権力があれば、いい政治をして、たくさんの人にプラスを与えることもできたのですね。

そうすれば、彼が引き寄せるプラスももっと大きかったはずなのです。 
このエントリーをはてなブックマークに追加

舛添都知事の辞任が正式に決まりましたね。

問題発覚当初の謝罪の仕方を間違えなければ、都知事の職を追われることもなかったと思います。


舛添都知事は一貫して、法律論からいって私は間違っていないで押し通そうとしました。

法律的にいえば問題ない、だから辞める必要もないと考えたのだと思います。

間違ったことをしていなければ、辞めさせられることもないと信じていたのでしょう。


しかし、舛添さんにとっての誤算は参議院選挙が近かったことです。

都民の98%以上が、納得できないという問題を政権与党は放置できませんでした。


都民に嫌われただけで辞任に追い込まれたと言えると思います。


それだけのことなので、

もし、最初から謝罪して、謝罪の意味も込めて、瀬戸内寂聴さんばりにツルツルの丸坊主にしてウケでも取っていたら都知事職にとどまれたと思います。


ホテル三日月の件。だれがみても政治活動とは思えないところで、がんばってしまったのが 大きな失点でした。

公用車を使ってコンサートに行った件も、「妻と娘にいい顔をしたくてついやってしまいました。すいません。」と謝るだけで良かったのに。 

ファーストクラスの無駄遣いの問題も、「つい調子に乗ってしまいました。子供の頃からあこがれていたんです。」と謝罪すればよかった。


民主主義にとって、政治家のパワーの源は国民の支持だけなんですよ。


悪い・悪くないで押し通そうとした舛添さんは学者であって、政治家ではなかったのかも。


愛嬌さえあれば。。。



いま、この本を読んでいます。

民主主義はイデオロギー(特定の考え方)に過ぎないと民主主義の難しさに迫った漫画の本です。



 
このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSの登場により、ひとびとの感情が以前と比べて「可視化」できるようになりました。

その結果、世の中のスキャンダルに対して、人々が感じる怒りや反発の強さも分かるようになりました。


スキャンダルに対処する人をみてると、

上手な対処の仕方と下手な対処の仕方が分かれているように思います。


まず、スキャンダルが発生したときに、
人々が何に対して怒っているのかを見極める必要があると思います。


私は、それは絆(きずな)の毀損に対する反発だと思います。


3.11の東日本大震災によって、「絆(きずな)」の大切さが再認識されました。


その影響で、いま、

この「絆(きずな)」に対する毀損や攻撃に対して、人々が大きく怒るようになったと感じるのです。



ベッキーさんが不倫をして、謝罪することになりましたが、

その過程で、世間に対してウソをついてごまかすような態度をとりました。

しかも、週刊誌の報道によると、世間を馬鹿にしているような印象すら与えました。


彼女は2つの問題を引き起こしています。
1)ベッキーさん自身の不倫による問題
2)その謝罪の過程で、ウソをつき、周りの信頼を損なった問題


もし、彼女が1)の問題をすぐに謝罪していれば、2)の問題は発生せず、ここまで問題は深くはならなかったと思います。

不倫のスキャンダルで騒がれたひとは他にもいるのですから。

なぜ、彼女だけが!と思う人もいるでしょう。

しかし、2)の問題があるから、彼女を擁護するひとは登場しづらくなっています。



舛添都知事の問題も同様です。ウソをついて逃げていることが明白になっています。

千葉県のホテルで、家族旅行をしていただけなのに、政治活動とごまかして、ウソをついたことが致命傷になっています。

ウソをついたことで、社会に対する挑戦と受け止められてしまったのです。

あのとき、すぐに謝罪してしまえば良かったと思います。

じわじわと謝罪の範囲を広げることも、みっともない印象が拡がっており、潔さが足りないとして、傷を広げています。


ここまで問題が拡大しているにも関わらず、逃げ切れるのは不可能ではないでしょうか?



この社会の絆(きずな)」に対する毀損や攻撃に対して、人々の怒りは長持ちするのも特徴的です。
なかなか終わりません。


冷静に考えると、ベッキーさんに対しても、舛添都知事に対しても、犯した問題と比べると、社会の怒りはとても大きいように思います。


落語家の円楽師匠はあっさり謝罪しました。

社会的には、これくらいでいい問題のはずです。

このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ