昨日まで、仏教を恨んでいました。

僕の祖母はお金に苦労したひとでした。

祖母が死んだときに、戒名がお金の有り無しで変わると知って、

死んでもなお、お金の有り無しで判断されることに反発したのです。


昨日のテレビ番組で、お坊さんが何人もテレビに出演され、

昔は武士と庶民で戒名が分かれていたこと、庶民の方からお金を出すから武士と同じ戒名をつけて欲しいと願いでたことを知りました。

いまも、あのときの怒りはなくならないけど、子供たち(僕の親やおじ、おば)が決めたことだし、ずっと恨みつづけるのは僕にとってよくないと思い直しました。

嫌ならお坊さんに依頼しなければ良いのです。僕のは単なる逆恨みだったということが分かりました。


TV番組をみてひとつ思うところがありました。

Amazonではじめてお坊さんの派遣について、賛成派と反対派が意見を交わしていました。

賛成派は、このままでは仏教が廃れると言っていて、
反対派は、それでは伝統が崩れると言っていました。

この理由なら、賛成派の意見のほうが優勢だと思いました。


賛成派の人は、この世の中の方を見ています。

市場をみています。

いまの世の中に受け入れられやすいようにするためには、どうしたらよいかの結論をだして行動しているのです。


反対派は、いまの世の中の生きているひとを見ていません。

この差は大きいと思います。


私も、宗教家はお経をサービスにしてよいと思います。

ひとは生きていくのにお金は必要です。

今のひとは昔のひとのように信心深くもありません。

お布施は、その金額に上乗せしてもらえればよいと思います。



お坊さんの中には霊的な能力の高いひともいるでしょうか、ほとんどのひとは普通のひとですよね。

ひとの死にたくさん関わっていて、ひとの生き方について深く考える機会が多い。

その中で得た経験はかけがえのないもので、ひとびとに対して生き方を説くことができる。

つまりはカウンセラーのような存在です。



しかし、お坊さんよりもカウンセラーの方が自由に稼いでいると思います。

仏教に関わるひとが収入が低ければ、ブラック企業と同じようなもので、若いひとは目指しません。

なり手がいなければ、仏教は縮小してしまいます。


お坊さんは儲けたら非難され、
カウンセラーは儲けたらいいカウンセラーと思われる。

同じカウンセラーなのに、この差はなんでしょうか。



お坊さんも自分の仕事をサービスとして捉え、堂々と収入を得て、税金を払う方が時代にあってると思います。



死んだらお経が必要と考える人がずっと存在し続ける、という固定観念はよくありません。

死んだら、それをひとにどう伝えるかは自由です。



お経が必要なら頼めば良いし、好きな音楽を流しても良いし、生演奏でも、映像のお披露目でも良いのです。

葬儀のやり方も個人の自由だと思います。

そして、自由に変わっていくと思います。