カテゴリ:スピリチュアル > 多様性のある価値観はすばらしい

電車の中で目の前の席を強奪された。

たくさんの乗客の中から、下車しそうな人を探し抱し、目の前に立っていたところ、

読み通りに下車!

しめしめと思ってたら、斜めからインされた。

はじめは怒り。「なんだ、このババアは!」。

その次は可笑しみが湧いてくる。

これは神様からのテストだなと。

考えと行動が一致しているかを試されたのだ。

もしくは、引き寄せの法則で、引き寄せてしもうた。

冷静になり、怒りはすぐにリセット。

そして、神様のテストに合格。

すぐに席に座れた。

だから、この世は面白い。
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自分と価値観と違う人を見かけると、ワクワクしませんか?

その人はなぜ、その価値観に染まってしまったのか。

自分とは何が違うのか、なんて。

犬に育てられた猫が、犬そっくりの動きをした映像を見たことがあります。

たぶん、その猫は自分のことを犬だと思ってるんです。

きっと、猫を見たことがないのでしょう。

だから、違いがわからない。

日本人が海外で生活すると、日本の良さを再発見するそうです。

当たり前だと思っていたことは、実は日本固有の文化だったと。


アメリカにはアメリカの価値観によって構築された社会があります。

拳銃を手放すことはできず、国民皆保険はとんでもないことだと思われてる。

たとえが悪いけど、中国人が簡単に日本に移民として暮らせるようになったときに、日本人は生活様式の異なる中国人を受け入れることができずに、国民皆保険を維持しなくなるかもしれません。


日本人が国民皆保険を維持しているのは、同じ人々が支え合っているという意識が無自覚にもあるからですね。


逆に、アメリカの民主主義に驚嘆した幕末の志士がいました。

幕末の日本では生まれたときに、人生は決まっていたのですが、それは単なる制度に過ぎなかったと。

制度なら変えられると。


美味しいものと美味しくないものは、その落差によって把握できます。違いがあるからこそ、理解できる世界があるわけです。

この差を生み出すために料理人がどれだけ努力しているのかも。


他人との違いは、自分自身を理解する手段です。

昔、養老孟司さんがガングロを真似する女子高生を指して、真似しても真似しても、真似できない部分がある、それが個性だとおっしゃていました。

歌舞伎などの伝統芸能も同じで、先代の通りにはできない部分がどうしても生まれるのは、それは個性があるからです。

差分は個性なのです。

自分と異なる人々の存在があるからこそ、自分という存在を理解することができます。


不倫についてもそうですね。

不倫する人もいれば、しない人もいる。

どちらが正しいかなんて論争も争いも無用です。

私たちがやるべきことは、自分の人生を、自分で生きることだと思います。


他人の価値観を変えることは容易ではなく、それには莫大な時間がかかります。

イスラム教徒をキリスト教徒に変えるように、また、その逆に、キリスト教徒をイスラム教徒に変えるくらいの労力がかかります。

宣教師のように一生をかけた事業になるでしょうね。


お花が美しいのは、色とりどりで、多様性があるから。

全部、同じだと味気ないです。


多様性のある価値観は、それぞれ存在しているから良いのであって、価値観が統一されてしまうのは、つまらないと思いませんか?


イスラム教徒は、スンニ派とシーア派で争いをしています。

外からみてると、共存共栄すればいいのにって思います。



価値観の違いは自分を理解するための羅針盤になり、
価値観を統一しようにも、統一できない部分が生まれ、
価値観を争いによって決着をつけるのは不毛である。


私は、この世に生を受けた理由のひとつは、この価値観の多様性を理解することだと思ってます。


認められない価値感があるのは自然なことなんですよ。でも、その価値観に至るまでには、その人なりの環境があるわけです。

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