2016年09月


フィリピンのドゥテルテ大統領がとんでもない発言をしました。


フィリピン大統領、自身をヒトラーになぞらえ「喜んで虐殺する」 

【9月30日 AFP】(更新、写真追加)フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ(Rodrigo Duterte)大統領(71)は30日、自らの掲げる「麻薬撲滅戦争」をナチス・ドイツ(Nazi)の指導者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)によるユダヤ人大虐殺になぞらえ、数百万人の麻薬中毒者を「喜んで虐殺する」と発言した。


この発言をみて、『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』という詩を思い出しました。

ウィキペディアを見ると、これはナチス・ドイツに反対する組織の指導者マルティン・ニーメラーさんの言葉に由来するそうです。

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ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

from wikipedia 『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』 ========================================

麻薬撲滅戦争に勝利するためには、法律を違反してもよいと考える人はいるかもしれません。

日曜日のワイドナショーに高須クリニックの高須先生もそうおっしゃっていました。

国民が望んでいるのなら問題ないのではないかと。法律が遅れているだけだと。


しかし、その超法的な措置は、その強い権力をもつ人の強い自制心によって限定されるべきだと思います。

彼にそうした自制心があるのか関心を持っていましたが、この発言をもって、その自制心はないと考えるのが妥当と判断しました。




ドゥテルテ大統領は、このやり方で麻薬撲滅戦争に勝利するだろうと思います。

しかし、その後は、自分の政権基盤を安定させるために、次の標的を見つけると思います。

次から次へと標的を変えながら、独裁を維持していくのです。

歴史が証明しています。



彼に権力を渡したままにしていてはいけないと思います。


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先週末に2泊の旅行に行きました。

旅行先の料理がふだん私が食べるよりも多かったり、 朝食もあって食べ過ぎたりで、

すっかりリズムを崩してしまいました。


朝も夜も、これまで食べていない「お米」を食べたことで、胃と腸が張って苦しい思いもしました。

※ふだん、お米は、昼食だけにしています。 


体感では、右下の回盲部あたりが詰まっているように思えました。 

炎症はずっと続いているので、回盲部あたりは狭窄気味になっています。

※ 内視鏡検査で医師が回盲部の先はもう検査しなくなっているくらい。 


それでも普段の食事なら問題なかったのですが、旅行先では料理を残すことができずに、量やタイミングをコントロールできなくて、 今回の結果になってしまいました。


旅行先で料理を頼むときには、普段提供するひとの半分の量にして欲しいなど、いろんなお願いをする必要があるようです。


今週は、お昼はバナナ1本だけにしたりしましたが、少なすぎるのも胃を悪くするようです。

体調悪化時の加減がまだ身についていません。

辛抱が続きます。 
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ヤクザ社会では、組員は代紋を借りて、非合法な仕事でもやってお金を作り、それを上納して金額が大きくなると出世する仕組みになっているそうです。(それだけではないと思いますが)

完全な実力主義ですね。

実は、こうした独自社会の欲望の最前線こそが一般社会の未来図ではないかと思うときがあります。

キャバクラの仕組みを一般社会のアイドルの世界に持ち込んだのはAKB48です。
怒られちゃうかも知れないけど、黒いキャバクラに対して、白いAKB48みたいなイメージです。
(実際はどっちが黒いかは分かりませんけど。)


私たちの一般社会では、マナー、倫理や法律によって、欲望を制限するように仕向けられています。

社会の安心を作るためには、必要なことですが、それに従わない人々も存在して独自社会を形成します。
 
そうした人々を警察も検挙しますが、いつの時代も0にすることはできずに、一定数は存在します。

 
そうした合法と非合法の境目や、完全な非合法の社会において構築された独自社会には、人々の欲望が詰まった仕組みが存在していると思うのです。


それは徐々に安全な仕組みになって一般社会にも転化してきます。

一番最初に記載したヤクザ社会での出世術が、一般社会に転じたときはどうなるかといえば、

会社の組織やブランドを使ってお金儲けしたひとが出世するということになると思います。


つまり、いまのサラリーマンは法律の設計上、時間を売って、一定時間だけ労働していますが、
そうではなくて、会社のリソースを活用して、お金に換えることを求められるようになるということです。

週休3日制やら出社してなくてもよいやら、労働条件が緩和されるようになりつつあるように見えて、実は、こうした方向に向かっているのではないかと思うのです。

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いま、私は新しい時代に向かって、新しいことに挑戦しています。

それは「他人の付加価値にお金を払う」ことを喜ぶということです。

これまでは、喜べませんでした。


同じ商品がヤマダ電機で11,000円で、Amazonで9,000円で販売していたとします。
これまでは安いAmazonで商品を買うことを当たり前だと考えていましたが、
たとえば、ヤマダ電機で購入しても気持ち的には後悔せず良いことをしたと喜ぶようになりました。

高く買って喜ぶなんて、不思議だと思うかもしれません。

一般的に、同じ商品を安く買う人はスマート、頭が良いと評価されます。
逆に、高く買えば、愚かだとレッテルを貼られます。



この考え方、イデオロギーに、なんら疑問を持たなかったのですが、
昨今、日本の、世界の経済事情をみると、このイデオロギーの蔓延によって世界は破綻に向かっていると考えるようになりました。


考えるきっかけとなったのは江原啓之さんと井内由香さん本です。
スピリチュアルでは、自分の行いは自分に返ってくるというカルマの法則が認められています。

良いことも、悪いことも、自分の行いはすべて自分に返ってくるという考え方です。

他人の付加価値にお金を払いたくないということは、つまり、他人には利益を与えたくない、つながって、他人の給料は下がって欲しいと考えていることと同一です。

私たちは、自分の給料は上がって欲しいと考えていても、他人の給料は下がって欲しいと考えて行動していることになります。


カルマの法則がもし存在するのであれば、自分の給料が上がって欲しいと思ったら、先に他人の給料が上がるような行動に努めなければいけません。



単に高いモノがよいと考えている訳ではありません。
正当な努力によって企業がコストダウンすることを止めるということではありません。


しかし、正社員が契約社員に変えたり、サービス残業を放置したり、取引先に無理に値下げを迫ったりして、安くなった商品を、購入することは、間接的にそうした行動を認めていることになっていると考えるようになりました。



デフレの時代になって、コスパが良い/悪いと、コスパについて評価することが多くなりました。

コスパが良いとはつまり、原価に載せる利益を最小限にするという考え方です。

単に原価の安い商品はコスパが良いとは言わないのですから。


いま、日本には需要が足りないと言われています。

日本銀行の黒田総裁が お金をばらまいても、国民は消費をしません。

この理由は、あきらかで、使える手元のお金が ないからです。

もし、手元にお金があったら、いままでよりはすこしは贅沢な生活ができるようになります。

国民は、ずっと我慢をしているのです。



手元にお金がないのは、労働者の賃金が上がらないことです。

賃金が上がらないのは、 企業の利益が少ないからです。

企業の利益が少ないのは、1つの商品あたりの利益が少ないからです。

1つの商品あたりの力が少ないのは、みんなが、1円でも安い商品を購入しようとするからです。


 このサイクルがある限り、景気はよくなりません。


需要がないと言いながら、本当は、みんなが欲しいものを変えずに我慢する生活がただ継続するだけの社会になっています。

 
カルマの法則があることが証明されれば、おそらく、みんなは安心して考え方を変えてくれるでしょう。

 
まずは、私が人柱となって行動を起こしてみます。私が経済的に豊かになれば、カルマの法則の証明となると思います。 
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寄付するまでに三回くらい迷いました。

恥ずかしながら、それほど、300円を惜しむ気持ちが強かったです。

この10年の間で、自分の中でも世間でも、ネットのサービスにお金を払いたくないという気持ちはかなり薄まってきたと思いますが、

対価ではなく、寄付ということが引っかかったのか、

かなり悩みました。



最近、食べログの不正疑惑が持ち上がりました。

また、広告を広告と掲載せずに表示する、いわば、ステマ問題も持ち上がりました。

ユーザーに向けての課金と飲食店に向けての課金の両立は難しいのではという指摘もあるなかで、自分だったらどのように決着つけるだろうかと悩んでいたときの寄付のお願いだったので、寄附をしてみたいと思ったのです。

心理的には簡単ではなかったなぁというのが本音です。






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